20181002

気付いたらもう2時間ほど、兄と2人で話し込んでいた。

 

生活リズムが違うので、普段ゆっくり話す機会は無い。知らない間にお互いが変わっていたりする。今日は、その「知らない間」を埋め合ったような気がする。

 

私は今何を考えていて、将来は何をしたくて、でも何をしたらいいのか分からない。という話をした。そういえば、こんな話をするのは兄が初めてかもしれない。話せる人が居たんだ、と一通り話し終えてから思った。灯台下暗し、といったところだ。

 

そして兄は非常に知識も経験も豊富なので、それが聞きたかった!ということをポンと答えてくれる。

 

目先の疑問はだいぶ解消されたし、やるべき事も見えてきたけれど、それでもやっぱり先は見えない。私が分からないんだから、きっと誰も分からない。

 

居たい場所がある。

行ってみたい場所がある。

譲れない好きな事がある。

離れたくない人たちがいる。

 

視野が狭いとか、夢を見すぎだとか、親不孝だとか、そういう言葉も同時に浮かぶ。もう1人の自分が常に言っている。

 

でも、

ここまで夢中になれることを見つけられたことって、もっともっと大切にして良いんじゃないか。

と、将来の大きなビジョンを語る兄を見て思った。

 

私は昔から、学校で評価される事がとことん苦手だった。勉強も運動も、最後まで好きにはなれなかった。劣等感を加速させるだけだった。

 

そんな中私は音楽と出会い、音楽に救われた。

音楽は沢山の出会いをくれた。色々な事を教えてくれた。

 

ここまでハマってしまったからには、本気で向き合いたい。学生時代の1ページ、に終わらせたくない。

 

私はプレイヤーでもなければ名の知れたイベンターでもDJでも無い。特別な知識も、秀でた技術も無い。

 

ただの音楽が好きな大学生だ。

 

そんなただの大学生が、どこまで行けるのか。何が出来るのか。どんな景色を観れるのか。

 

シンプルな「好き」という気持ちを、どこまで持ち続けられるのか。

 

まだ当分先は見えない。

 

 

 

 

 

 

 

20180929

今日はずっと、「それ以上でもそれ以下でもない」という言葉が頭にあった。

 

誰かに言われたわけじゃない。

どこかで耳にした訳でもない。

ただ、なんとなく、ずっと頭にあった。


それ以上でもそれ以下でもない、って言葉はなんだか寂しい。「それ」が何なのかも、何を基準とした以上/以下なのかもピンと来ないけど。

ただ、私はこの言葉に諦めとか、無関心とか、他人行儀とか、そんなイメージを持っている。だから寂しく感じるんだと思う。


寂しいけど、結局ちょうど良いのかもしれない。

何事にも、この言葉みたいに距離を取っていた方が互いに傷付かない。変な誤解も、すれ違いも起きない。

 

過ぎたことを悔やんで後ろを見続けるのも、

訂正する為に来た道を戻るのも、

言い方が悪いかもしれないけど、私にとっては面倒で仕方ない。それなら最初から誤解もすれ違いも起き得ない赤の他人で良い。そうすれば何も面倒な事はない。

最近は自分のことも面倒臭い。出来る事なら他人でいたい。本当は面倒だなんて思いたくないんだけど。


我を忘れて夢中になった後で、気付いて、引き返す。


それ以上でもそれ以下でもない


私はこの一言で一気に楽になる。

何も言わずに、距離を保って、第三者のままで、居る。


その繰り返し。

これは、紛れもなく自分に対する諦めだ。